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松岡さんと貧困

1か月ほど前、ある新書を探しに某紀伊国屋書店へ立ち寄りました。

 

お目当ての本は店頭に無かったけど、タイトルが気になって手に取った本がコレ。

 

帯のコピーを見て何だかなぁ~って感じやったんですけど、自分自身も長い間向き合い続けているテーマだけに何かひとつでも得るものがあれば良いかな?とレジへ持って行きました。

 

 

「徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」
日本財団 子どもの貧困対策チーム

文春新書

 

で、中身はと言えば、この団体が日本で初めて子供の貧困を放置した場合の経済に与える影響を試算した内容を踏まえ、子どもの貧困が「タニンゴト」ではなく「ジブンゴト」として問題を捉えてほしいというものです。

 

貧困という主観的な状況を数字にはめ込んだのは、非常に意義深いものがあると思います。
その数字の捉え方や定義のアレコレは議論のあるところでしょうけど、商店街や小売市場が街のコミュニティ形成の担い手として活動を続けるにあたっては、この問題を無視することは出来ないと確信しています。

 

とてつもなく深いテーマなので、此処で解決しようとかするつもりは全然ありません。
自分なりの取り組みをするにあたって、その方向性みたいなものを少しでも表現出来ればと思い、今日は書いてみることにします。


松岡さんと貧困

 

この十数年間で起こった貧困にまつわる出来事は離婚でした。

 

当時の妻から突然「好きな人が出来たから別れてほしい。」と切り出され、強烈な驚きと怒りと悲しみに見舞われながら当時の状況をやり過ごした結果、当時5歳と2歳の子供を引き取って暮らすことになったことです。

 

稼いだお金は全て相手に渡していたので、家に幾らあるのか知りませんでしたけど、相手が全て持って行ったのでワタクシはゼロ。


家庭裁判所で親権を争って養育権含めワタクシが権利をいただいたものの相手からの月々の養育費は今に至るまでゼロという状況でしたから。

月々の収入で暮らせる状態ではあったものの、いかんせん子供は5歳と2歳。
現状で子供と向き合える時間を優先した仕事を選ぶと10年後には経済的に破たんすることは目に見えていました。


何か分からんまま区役所の子育て支援課へ相談へ行ったところ、窓口では

 

「母子家庭には児童扶養手当制度がありますけど、父子にはありませんからね~、ま、お子さんが高校へ進学する時の貸付制度くらいですかねぇ~。」

 

と半笑いで門前払いされる始末。


相手が本当に半笑いかどうかは知りませんけど、その時に半笑いされたと感じた自分が何とも情けない気持ちでメマイがしたのを鮮明に覚えています。

 

とは言え、子供たちは日々腹を減らし日々成長しています。

 

じっくり考える時間もユトリもないまま、とにかく慌ただしく日々を過ごした記憶しかなく詳細は覚えていないのですけど、子供と一緒に居る時間が少ないことを少しでも補うために2つの事柄を出来るだけキチンとしようと決めたことがあります。

 

一つは「食事」です。

 

一緒に居れる時間が少ないから、自分が食事を作って献立に親父の気持ちを少しでも込めるようにしました。
と言えば聞こえが良いのですが、実際は長男が強烈なアレルギー体質だったので市販の総菜を食べさせることが出来なかったという外的要因がきっかけです(笑)。

 

もう一つは「母親が居ない寂しさを出来るだけ感じさせないように彼らの日々を忙しくする」ことでした。

 

これは当時生きていて子育ての足らずを手伝ってくれた母親が居たからこそ出来たことです。当時住んでいた家の向かいにグラウンドがありまして毎週末に少年野球チームが練習や試合を行っていました。母親が子供たちと一緒に観に連れて行ってくれて、野球チームの監督やコーチたちが可愛がってくれて(少子化に伴い新入部員の確保は当時から難しくなっていたのだ・笑)、何となく小学校に入学したら野球チームに入ろうね~って雰囲気が出来上がっていましてね。次男はまだ2歳なのにね。そんなきっかけで我々家族に「野球」というスポーツが中に入って来て今日に至るわけです。

 

現在、長男も高校卒業後無事に就職し今年高校を卒業予定の次男も就職先が内定して、ひとまずホッと一息ついたトコなんですけど、我が家のケースは幸運に恵まれただけのことです。今んトコ。


この本の内容に当てはめると、こうなるのかな?って感じています。

 

1:社会的相続を父親以外の方々が行ってくれた。

※「社会的相続」とは、明確には定義されていないが「人と関わる力」「思考・判断・表現力」「知識・技能」「学習意欲」「学習習慣」「生活習慣」など「『自立する力』の伝達行為とされる。

 

2:子供たちの非認知能力を野球チーム関係者や友達の家族方が高めてくれた

※非認知能力とは、IQ(知能)に関係なく、「意欲」「協調性」「粘り強さ」「忍耐力」「計画性」などの個人の特性


一方で、

 

1:区役所へ相談に行った際の対応や助成制度の在り方や窓口業務に関わる「人」の問題

※現在、神戸市では父子家庭にも母子同様の基準で児童扶養手当を給付されている。

 

2:シングルマザー(ファザー)の就業支援制度の不十分さ

※これも現在は様々な支援制度が行われている。

 

という問題も、当時にはあったわけで…


この駄文は2017年10月12日に神戸にある日本初のコワーキングスペース「カフーツ」で行われている「ブログジェリーvol.78」で書いているわけで、残り時間が10分を切っております。


兎にも角にも季節柄、衆議院議員選挙や神戸市長選挙の何やらで「子育て支援」が叫ばれてるんですけど、どうやって支援するのん?って中身を知ろうとすればボヤ~っとしてます。

各政党、立候補者の公約やマニフェストを読んでも、教育の無償化を謳っているトコロが多いんですけど、実際子供を学校に通わせようとすれば無料なんてことはあり得ません。

ウチの場合は野球を続けさせたんですけど、かかる費用はまあまあエゲツなかったですし、シングルファザーだったため実際の部活動で子供の送り迎えや遠征・合宿の世話など他の生徒さんのご父兄に頼りっぱなしでした。

 

少なくともウチの子供たちは部活動を含めて「野球」と触れ合い続けてきたから今の彼らが居るわけです。これは極めて重要な事柄です。

しかしながら、この事と世の言う「教育無償化」と、どうにも歯車が噛み合っていない気がしてなりません。

やはり行政に頼むより、地域に住み暮らす第三者による支援が必要なのかなと思っています。

 

この本に書かれている「非認知能力」に優れた大人が地域の子供たちを見守る?時々寄り添う?的な場所のようなそうでないような空間?

 

私の活動スペースとして何かしら場所を運営する際、それこそボヤ~っとした最初のイメージがコレなんですね。

 

続く?