先月から我が肉体において、「老化推進月間」が催されているらしい。
先月に会社の福利厚生で年に一度の健康診断を受けさせてもらった。
結果、長らく悪い数値を示していた肝臓の値が劇的に改善されていたのは嬉しかったけど、バリウム飲んで行った胃のエックス線検査で十二指腸に狭窄があるから胃カメラ検査を受けなさいという指摘があった。
そして月末には、数年前に治療した前歯の根っこ部分が腫れてきて気持ち悪くなったので診察を受けに行った際に処方された抗生物質が体内で猛威を振るいすぎたのか?なかなかの下痢に見舞われる始末だ。
これは、バリウム飲んで消化器官が少々調子を乱してしまったときに追い討ちをかけたからなのかもしれない。
処方された抗生物質は2日分。
飲み終えて4日も5日も経つのに、胃腸の具合は悪くなる一方。
昨日の日曜日は、いよいよ下痢がひどくなり過ぎて、ヘソから下の感覚が麻痺したような錯覚を感じるほどに悪化した。奈良マラソンに向けたトレーニングにも大きな支障が出てしまう。
明けた月曜日。
麻痺した感覚は戻ったものの、下痢と倦怠感は残ったまま。
松岡家では、こういう時も「喰って治す」という鉄の掟が今でも続いている。
冷蔵庫に残っていたカボチャと玉ねぎと人参を刻んで柔らかく煮た味噌汁を作って、炊き立ての雑穀飯に納豆と卵を落としてよく噛んで食べた。

高梁のばあちゃんなら、卵は味噌汁サイドに場所を変え、納豆の代わりに自分で漬けた沢庵で飯をかきこむだろう。
大昔、子供の時に作ってくれて食べた時は正直苦手だったけど、今は違う。なんかこう、胃が求めている、腸が触れたがっていると感じで作って食べている気がする。ところでなぜ今、自分が作った味噌汁を飲むときに、ばあちゃんのことを思い出すのか?日々食べる飯は、別々に見えて何かしら歴史を思い起こすきっかけとしても存在しているのだろう。

飯を食べ終えて、整腸剤と太田胃散をがぶ飲みしたあと、持ち運び用として購入した中古のノートパソコンを広げて色々と使い勝手を試してみた。
すんません。試すほど使い勝手を知っておりません。
コレを手に入れたきっかけは、自分で書いた文章を本にするための入稿データを空いた時間を使ってどこでも作業できればよいなぁと思ったから。
3万円チョイで手に入れたブツにしては、実にサクサク動いてストレスはゼロだ。
しかし、しかしながら、ほぼ10年ぶりにWordを開けて書式やレイアウトをいじってたら、まったく忘れてちんぷんかんぷんになっていた。
コロナ禍の時に挑戦したウェブデザインの勉強については、何が分からんかが分からんなりに、分からんポイントを探しながら何とか進めていくことができた。しかし、今回は忘れたなりに生半可に残っている記憶が作業の邪魔になっている。
老いるとはこういうことを受け入れるところから、それでもくじけずに続けていくのが暮らしの普段に大切なことなのだろう。
そう思わないとやっとられるかい・・・笑。